MarunouchiAya’s blog

東京丸の内の外資系企業に勤めるアラサーです。1歳の息子がおり、職場復帰と共に、所謂ワーママに。出身は静岡県。好きなことは、美味しいものを食べること、綺麗な景色を見ること、人と話すこと、カフェでゆっくり読書すること、家族と遊ぶこと。感じたこと、考えたことを飾らず素直に書ける場として利用しています。

休日にイオンの遊び場に行っての思考

1. どんな階層の子どもたちがいるか

東京において、イオンの遊び場に所謂一流の子はいないんだよなぁと思った。同じ2時間という時間を、一流の子は、サッカー教室や、習い事をしているんだろうなぁ、と。"無駄"暇つぶし“と親が思う場所には連れていかないんじゃないかなと、初めて東京のイオンの遊び場に息子を連れて行って思った。

 

2.親の声がけ

"ジャンプしちゃダメ!"なんで片付けないの!"とガミガミ、終始全く笑顔が無い母親がいた、ああはなりたくないなあと思った。まず、何したらダメとばかり言われたら萎縮する。ダメなことは、逆にこうしてねと伝えないとこどもの脳の処理能力では解読できないと思う。

笑顔で見守り、危険だったり度を越す場合のみ言葉がけをするというのが私の理想の子育てだと改めて思ったのです。

 

3. 子どもの悪いやつは見破りにくい

息子に寄ってくる5歳くらいの男の子がいて、最初は息子も私も緊張した。息子が集中して遊んでいるものを横取りするんじゃないか、とか、何を声がけしてくるのか想像もつかないから。大人だったら見た目である程度危険を察知しやすいけれどこどもはわかりにくい…!結局、ショベルカーと消防車を持っていたその男の子が、どうぞとショベルカーを息子を渡してくれたときに、息子も私も、あーこの子は"仲間"なんだと思えた。息子が、ショベルカーどうぞしてくれたー、と私に安堵した表情で伝えてきたのだ。

 

4. 同じ時間の使い方

上記と重複することではあるが、この遊ぶ1時間。モンテッソーリのお教室にいくのと、イオンの遊び場にいくのと、どちらが子供にとって良いのだろう。

例えば、両方の環境に果物のマジックテープで二つに別れるおもちゃがあるとする。モンテッソーリの方には先生がいて、手をここに置いて、ナイフの向きはこっちです と教える。

一方、遊び場の方は自由にする。

どっちかいいんだろう。

教育という観点では、モンテッソーリのほうで、正しいナイフの使い方を覚え、安全だけど、自分でやってみるという観点ではイオンの遊び場。

その意味で高い学費を払って、塾に行かせる意味ってなんだろう?

こうやったら正解ですとこどもが考えるより先に教えること?

息子は遊び場でもちゃんと考えて、果物を切っていた。好きなように好きな順番でやっていた。

もう一つ例えを。

風船がたくさん飛んでいる風が吹いている空間。

教室だったら、”早く黄色を2つ捕まえた人が勝ちー“というとする。

イオンの遊び場には、先生がいないから、自由にやってる。

そんな遊び場でも、考える子は自分で青を取ろうとして取ってみる。ても、考えない子はただわーと走り回る。

能を働かせる機会を与えることが塾に行く理由なのかな。潜在能力を引き出してあげること。ぼーっとしていたら潜在能力が眠ったままでいることになる。幼少期から塾に行く意味は潜在能力をたくさん引き出してあげることにあるのかな。

それでも、息子は、風船のきゅっと結ばれた箇所指してこれなーにー?と聞いてきた。

うちの息子、言われなくても、ちゃんと考えているし、よく見ているんだよなぁ。

自分の子どもだからバイアスかかっているかなぁ。

ある程度自由にしても、好奇心旺盛で、研究熱心な息子は考えて試して考えて試してを回していける子だと思う。

でも、環境を準備して、潜在能力を最大限に伸ばす努めも、親として果たしてあげたいと思う。

 

育児は楽しい。難しい。

 

それでは、またねん。